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お金欲しさから、3年前からパパ活を初めて一昨年に子供を妊娠することになった経緯を書いていきたいと思います。
アプリで出会ったパパさんたちとはデートだけの人やオナニーを見るだけ、手コキ、フェラなどをしたことはありました。
ただエッチを許した人は今までいませんでしたが、どうしても友達と海外に行きたかったため活動を増やして見たもののお金が足りず、渋々エッチを解禁することにしました。
年が離れているより、まだ若めな人がよかったため33歳のお兄さん(ヒデさん)に条件を聞くことにしました。
すると帰ってきた内容が
・ただのえっち 4万(ゴムあり)
・中出しさせてもらえるならさらに3万
1回のえっちで中出し込みですが、7万の金額に惹かれてOKをすることにしました。
ピルを飲んでいたわけではないですが、中出し後アフターピルを飲めば大丈夫だと思っていました。
ただ海外への資金として7万円だと少し足りず、ヒデさんにどうにかならないかを相談しました。
すると
・危険日の証明をしてくれたらもう2万円
・さらに危険日に中出しさせてもらえるなら合計で20万お渡しする
と言われて、予想よりももらえる上に旅行先での資金にもなると思ってしまい、こちらもアフターピルを飲めばいいと思い🙆♂️してしまいました。
まずはホテルにてお金をいただき、排卵検査薬を使いました。
陽性である確認と、その動画を撮影され、いざえっちに。
えっちは正常位、騎乗位、バック、そして正常位でいよいよフィニッシュの時。
ヒデさん「そろそろイクよ!中に出すからね!!」
私「うん!全部好きに出しちゃって!」
ヒデさん「イク!出すよ!!妊娠して!!!」
という会話と共にヒデさんの熱い精子が入ってくる感覚が伝わり、初めて中出しを経験しました。
初めての中出しが危険日。やってはいけないことをしている気持ちで少し興奮をしたいる自分がいました。
海外へ無事旅行でき、アフターピルを飲んだため問題なく経過したので、なんて簡単なのだろうと思い、次の生理が来た時に、もう一度やってお金を稼ごうと思ってしまった愚かな自分でした。
危険日でもアフターピルを飲むので無敵だと思い込んでしまい、前回と同じく排卵検査薬をにて陽性を確認し再び中出し。
今回は少しお互い楽しむ余裕が出て、盛り上がってしまい1泊で3回中出しをすることになりました。
少し長めに一緒にいたためアフターピルを飲むのが遅れてしまったこともあると思います。
そうです。妊娠してしまいました。
そこからヒデさんと協議が始まり…
実はヒデさんは妻子持ち。奥さんへはバレないようにということで私は切られてしまいそうになるのを感じ、どうしたら良いのか悩んでいたところ、ヒデさんより提案として
・認知はしない
・ヒデさんの家族には絶対にバレないようにする
・父はいないものとして育てる
・もう1人妊娠するまで危険日中出しを続ける
この条件のもと、毎月働かなくてもいいお金を養育費、口止め料として貰えると約束を提案されました。
嘘のような話しだと思いますが、何も疑わずにそのお金があれば子供を産んでも暮らしていけると思ってしまいました。
事実、きちんとお金は払っていただいていましたので、1人目を出産。
その後約束通り2人目に取り掛かり、1年半後第二子を妊娠しました。
ところが2人目の出産が間近になったタイミングから振り込みがなくなってしまい音信不通に。
連絡のすべがなくなってしまい、会社も訪ねたのですが元から在籍もしておらず…
結果どこにいるのかもわからない男の人の子供を2人抱えることになってしまいました。
私は現在、月の半分出稼ぎの風俗をやりながら看護師としても少し働き2人の子供を育てています。
あの時お金欲しさに動いた愚かな自分への辱めとして、このお話が皆さんのネタになれば幸いです。
僕が高二の時の子で相手はマレーシア人の二つ上の子です。
あれは高二の夏、短期留学に出発した僕は期待に胸を躍らせていました。
世界中の可愛い子達が僕を待っている。可愛い外人の女の子、もしかしたらホストファミリーに同年代の女の子がいるかもしれない。
ウッキウキで飛行機から降り、空港を出て学校が手配してくれた送迎車に乗り、期待に胸を膨らませて30分ほどのドライブ。
だけど人生、そううまくは行かない。
お世話になる家に着き、ドアを開けると待っていたのは老夫婦。で隣の部屋には同い年のロシア人男子。
明るく振る舞いますが正直落胆。
しかし色々と説明を受け終わり、まだ外も明るいので出かけようと思った矢先、2階から女の子が降りてきました。
少し日焼けした肌、背は小さめで髪はロング。どタイプでした。
そして何よりFカップはあろうかと言う胸、何より巨乳好きの僕には堪らない。
この時のために英語を勉強したんだとばかりに話しかけます。(便宜上相手をAとします)
軽く自己紹介をして、何を話そうか考え始めた矢先、ホストマザーでが言います。「ガクウは今こっちについたばっかりだから、暇なら案内してあげたら?」
ホストマザー、グッジョブ。
Aは快諾し、2人で家を出て歩き始めます。
これはチャンスとばかりに一生懸命話しかける僕、なんとか日本食の話で盛り上がります。
その後、町の中心部を案内してもらい、謎の麺を食べて帰宅します。その日はそれっきりでした。
しかしここで終わっては日本男児の名折れ、次の日もその次の日もことあるごとに話しかけます。
そしてインスタを交換し、そこそこ仲良くなった留学3日目、意を決してデートに誘ってみます。
またしてもAは快諾し、電車に乗って出かけます。
ここまで来たらどう考えても脈アリなので肩に手を回したりなど、ボディタッチを増やします。
なかなかいい感じでデートが終わり、家に帰ってきますが、押しに弱そうなので流れでAの部屋に一緒に入りました。
Aは驚くも、拒否することはなく、2人でベッドに座って話します。
そして話を恋バナに持っていき、言います。
「本当に美人、めちゃくちゃタイプだから彼女になってほしい」
「本気?」
「俺は本気だよ」
「いいけど、私大学生だよ?」
「関係ない、俺は君が好きだから」
とかなんとかいって付き合うことになりました。
それからは毎日学校が終わるとAの部屋に一直線、そんな生活が続いて一週間ほど経った日のことです。
その日ホストファミリーは2人とも外出しており、広い家に2人だけでした。
Aとはその日もベッドに寝転んで動画を見たり、お互いの国の言葉を教え合ったりしていました。
しかしその日Aはキャミソールしか着ておらず、ムラムラした僕はAにキスし、抱きつきました。
Aもまんざらでもないのか、ノリノリです。
あれだけ触りたかった胸を揉み、顔を突っ伏します。
Aの胸は信じられないくらい柔らかくて、しばらく触ったりしゃぶりついたりしていました。
ズボンも脱がせ、手をAの股にやります。
お互いヒートアップしていき、僕も服を脱ぎ、性器を出すと今までにないくらい反り勃っています。
Aは僕のモノに手をのせ、「思ってたより大きい笑」と言います。
もう我慢のならない僕はベッドの上に座る姿勢になっていた彼女を押し倒し、性器をあてがいます。
この時、ゴムを買っていないことに気が付きましたが、何も言われないのでそのまま挿入。
Aの中はあったかくて、気のせいか今まで体験したものよりも包み込みが良かったです。
正常位から始まり、寝バックに移行するとその体位が好きなのか喘ぎ声が大きくなります。
あまりにも大きいのでホストファミリーが帰ってくるとまずいと思っていました笑。
寝バックを続けているうちに彼女がイったようで、Aはぐったりしていましたが、僕は無理やりするシチュエーションが好みなのでその後も腰を打ちつけていました。
最後は顔を見ながら射精したくなり、Aをひっくり返して正常位で射精しました。
この時、中出しをしてしまったことに気づきましたが、Aは何も言わず、元気がなくなった僕のモノをしゃぶり始めました。
そうしているうちに復活してきたので2回戦を始め、今度は立ちバックをします。
彼女は体力がないのか、もうされるがままになっていました。
2回目はそのまま立ちバックで中出し。
ほんとは3回戦もしたかったのですが、2回戦が終わってすぐにホストマザーが帰ってきたので断念。
そのあとも日本に帰るまで、ほぼ毎日セックスしてました。
全て中出しでしたが、流石に心配になってAに、帰り際聞いてみると、別に子供ができても構わない。あなたとの子だから産むよ。と言われました。
僕は高校生だったので、子供ができても結婚できないし、また会えるかもわからないと伝えました。
しかし、それでもAは大丈夫だと言うので、そのまま帰りました。
あ、もちろん帰る前のお別れセックスはしました。
それからしばらくはすっかりAのことは忘れており、Aとのメッセージのやり取りもなくなっていましたが、高二の冬に突如、妊娠した、産むつもりだ。とメッセージが来ました。
おそらく診断書であろうマレー語の文書の写真も送られてきました。
遠く離れた異国で、自分の子供が生まれようとしているという事に興奮しましたが、どうしようもできないので、分かった。嬉しいよ。とだけ送っておきました。
そして高3の5月に産まれたと連絡があり、写真も送られてきました。
なんとなく自分に似てる気がすると思ったものです。
Aから名前をつけて欲しいと言われたので丸一日考えて、日本人としても外国人としても通じる名前をつけました。
Aからはそれからも月に一回くらい、写真を送られてきますが、どんどん自分に似てきている気がして、楽しくてしょうがないです。
あと、Aからも頼まれているので、今年中に一度会いに行こうと思っています。
もしかしたら来年には第二子が生まれるかもしれません…
追記
実は留学中にあと2人とセックスしているので、気が向いたら書きます。
名前をタケルといい、一見気弱そうな感じの子で、いっぱい可愛がってあげようと心に決めていました。
今思えば母性、庇護欲のようなものだったと思われます。
きっかけはタケルが◯4の頃、その年の男子らしくオナニーをする事は知っていましたが、そのオカズになんと私が入っていたのです。
自分の学年でも自分よりスタイルいい子が男子のオカズにされているのは知っていましたが、まさか自分がそのオカズにされているとは知らなかったので嬉しくなり、
「お姉ちゃんの事好き?だったらもっと簡単に好きを伝える方法教えてあげる」
という事で、自分の知る限りの性知識を教えました。クラスメイト経由でそれなりに色々知っていたのです。
手コキ、フェラ、クンニ、オナニー見せ合い、(Dカップで)パイズリといった一通りの前戯は教えました。
親が共働きという事もあり、そういう機会はいくらでもあったのです。
そうして1ヶ月後、ついにお風呂場で本番。
タケルの童貞ちんぽが私の処女膜を貫いたのです。
初めて同士という事もあり中々入りませんでしたが、ようやく入った時には嬉しくなり、自分の方から膣をきゅっとしめてしまいました。
ですので数回もピストンしないうちにタケルの大量の精液を、私の膣内に放出されました。
それからはタケルと遊ぶ時はセックスという程、セックス漬けでした。
学校帰りにタケルがお迎えしてくれた時は秘密の場所でセックスしてから帰りました。
私が◯学生の頃の学芸会の妖精役の衣装(ギリギリ入りました)や中◯の文化祭でやったメイドカフェの衣装、ビキニやスク水でコスプレセックスする事もありましたので、マンネリ化は回避できました。
避妊はしっかりしていたし、自分の口でタケルにゴムをつけた事もありましたが、生でしていた事もあったので◯学3年の夏休みに2人の子を妊娠してしまいました。
妊娠初期のつわりは体調不良で誤魔化せたものの、妊娠5ヶ月になると流石に隠せなくなってきました。
そこで思い切って妊娠を告白しましたが、両親は意外とあっさり受け入れてくれました。
出会った頃はすぐに親密になっていましたが、人並みを超えていたと両親の目には映ったようで、もし結婚を考えていたらどうしようということで籍は入れずに事実婚にしていたことも分かりました。とんだ親ばかでしたが本当に感謝しています。
こうして両親公認となった私たちは安定期に入ってからまたセックスを重ねつつ、臨月中のセックスで破水するも、3月に無事女の子を出産。
タケルは◯学6年、私は◯高1年になる手前でパパとママになりました。
地元はいわゆる地方都市ですが、10代で妊娠出産する子が多く見られたので高校は卒業までいました。
そういうコミュニティにも入り、「ママ友」の前でタケルとのラブラブっぷりを見せつけた事もあります。
その後はタケルが◯学3年の頃に次女を出産しています。
◯学生になったタケルは心身ともに頼もしくなった印象で、ペニスも一日のセックス回数も増えていたのでますますどハマりしてしまいました。
特に一番好きなセックスは娘に母乳を飲ませながらベビーベッドでタケルにバックから突かれるものでした。
背徳感あふれるセックスもいいですね。
この間18歳になった『弟』と入籍したので書き込みます。
両親が気を利かせてお膳立てしてくれた新婚旅行のようなもので第3子出来たらいいな!
その日もそうであり子供を一階の母に見てもらっていたようだ。
突然2階の俺の部屋のドアが開いて、俺はそのときエロ本見ながらセンズリしていてチンポはカチカチにそそりたっていた。入ってきたのは兄嫁だった。
兄嫁はドアを開いた数秒後にニコニコ顔になっていた。
部屋に入ってきてドアを閉める。
俺はカチカチチンポ握ったままだ。
「〇〇君したいの?」と言うやいなやスカート、パンティ、上着、ブラの順に素早く服を脱ぎだして全裸になった。
俺は驚きで固まってたがチンポも固まったままだ。
兄嫁は超エロ体形をしておりオッパイはFカップ、ウエストはくびれてヒップもプリンプリンで中肉中背、特にオッパイは子ありにも関わらず母乳でなくミルクを与えていたからかメチャ美麗な形をしていた。
そんな兄嫁は再び「したいの?」と言いながら俺の上にいきなり乗ってきた。
兄嫁は自分で俺のチンポを掴んで自分のマンコにゆっくりと入れようとしている。
数秒後チンポは完全に兄嫁のマンコに埋没した。
兄嫁は「あ~ん、奥に当たって気持ちいい」といい、俺に覆いかぶさってきてキスをせがんできてベロをいやらしくねじ込んできた。
俺は兄に悪いと思いながらもチンポは思考を持たない生き物なので、激しくピストンしてた。
2分くらいで俺が「もう出るよ」と告げたが兄嫁は俺のチンポから離れようとしない。
2秒後くらいに精液を兄嫁のマンコにぶちまけた。
俺自身久しぶりの中出しで今日の最初の射精なのでかなりの量の精液が出たように感じた。
兄嫁のマンコは精液を搾り取るかのように収縮を繰り返し俺のチンポを包み込んでいる。
一旦は柔らか気味になったがチンポはマンコに入ったままだったが、2分ほど経ったら再びカチカチになってきたので騎乗位のまま腰を振り出し、兄嫁の超美麗なオッパイを左右ともしゃぶりながら2発目を兄嫁のマンコに中出しした。
兄嫁は「もっともっと」と言う。
一旦チンポをマンコから抜き兄嫁のマンコをティッシュで拭いてやった。
兄嫁マンコから流れ出る俺の精液は究極のエロだと俺は思った。
精液垂れるマンコを見て半立ちチンポだったのでオッパイを吸ってたらまたチンポがカチカチになったので正常位で挿入し10分くらいでまた中出しした。
初日は30分ほどで3回でした。
兄嫁は若干今でいうメンヘラ気味な女でいわゆる躁鬱の気があり、このときは躁気味だったのでしょうか、3回中出し終わった後1階に戻って俺の母親に〇〇君の部屋で裸になったと言ったらしい。
あとで母親が私に言ってきて母は「本当なの?」と俺に聞いてきた。
俺「うん」
母「裸になっただけなの?」
俺「・・・やった 何回か中に出した」
母沈黙・・・。
その後も月に2回ほど兄嫁は俺の家に来て、そのたびに俺の部屋に来て毎回小一時間で3~4回中出しさせてもらった。
俺は兄嫁に聞いた「妊娠したらどうするの?」
兄嫁「わかんないその時考える」
母は新しく子供が生まれても兄か俺のどちらかの遺伝子ならいいかと思ったらしい。
実際3年後の24歳のときに兄嫁は妊娠したが俺の子かもしれないということで産めないと考え中絶したようだ。
また26歳の時も再び妊娠して中絶したみたい。
兄嫁とは俺が結婚した30歳までの9年間中出しさせてくれたが、このことは墓場まで持っていこうと強く決めています。

はじめての投稿になります。
当方は今年48才になる自営業です。
未だ独身なのですが、今年20才年下の女性と結婚する事になりました。
経緯はデキ婚です。最近は授かり婚と表現するのですかね。
自分に子供が出来るという事実に向き合った時、今から20年以上前に50人以上の女性と関係を持ち、その上に妊娠させた事を今更ながら思い出しました。
関係を持った女性の中でも当方が中出し孕ませという性癖を開花させた女性について綴りたいと思います。
当方が大学生のころ大学の電算室で出会い系の掲示板を見ることが出来ました。
インターネットが一般家庭に普及していなかった時代という事もあり、そう言ったサイトを大学で見ていました。
その掲示板で一人の女性と知り合い、そして実際に会う事になりました。
お会いした女性の名前を覚えていないのでここでは香織とさせて頂きます。
香織と逢ったのは大学がもう休みだっと記憶しているので2月の寒い日でした。
自分の最寄り駅から30分ほど離れた駅で10時に待ち合わせをしました。
事前に彼女が当方より一回り以上年上で既婚者である事は伺っていましたが、そこに現れてのは20代後半と思しき女性でした。
その後彼女の要望で映画を鑑賞してマックで軽く昼食をとった。
食べながら彼女は旦那とのセックスが義務見たいに感じ苦痛、といったような話しをしていました。
そして念願のホテルへと。
部屋に入るなり彼女は当方に抱き着くなり、キスを求めて来た。
彼女の唇に自分の唇を重ね合わせると、彼女の舌が押し入ってきた。
そこからはお互いの舌を絡ませ合い唾液を幾度となく交換し時間が過ぎるのを忘れて貪り合うキスが続いた。
お互いに唇を離すと唾液で出来た一筋の糸が唇通しを繋いでいる。
彼女は自分のスカートをたくし上げると当方の手を取りまんこへと持っていく。
下着ははいておらず、剥き出しのアンダーヘヤーと既に愛液でグチョグチョになっているまんこがあった。
彼女曰く、食事中から想像して濡れていたとの事だ。
我慢できないと言わんばかりに当方のズボンと下着を下ろすといっきペニスをくわえ込んだ。
そして両手を当方お尻に回すと奥までくわえ込み、その快感に呆気なく発射してしまった。
なにせこの時、当方は女性とのセックスが初めてで、しかも早漏であった。
そして口を離すと口を開け当方に精子を確認するとそのまま精子を飲み込んだ。
彼女は発射しても全く小さくてならないと分かると備え付けているソファーへと当方を促し私を座らせる。
そして当方にまたがるとそのまま挿入し始めた。
そして5分も経たない内に彼女の中で果てた。
その時当方は中出しはまずい、と思いそれを伝えたが、気にせず思いっきり出して沢山気持ち良くなって、と返ってきた。
その後はベットにお風呂、ソファーと部屋中至る所で、彼女と当方が知り得る体位をひたすら試していた。当然全て中出しで。
正直この時何回出したかは覚えていない。ただ最後の方はベットに仰向けになりマグロ状態だったのを覚えている。
仰向けになった当方の下の方で彼女がフェラをし、大きくなったら騎乗位でまぐわり、いって小さくてなったら再びフェラを繰り返していた。
正直最後の方は空砲だった思っている。
彼女が一児の母である事は食事中に聞いていたので、身体がもたないと思った当方は、子供はいいのですか?と問いかけた。
すると今日は母に頼んでいる。そして帰らなくても平気といった答えが帰ってきた。
そしてそのホテルでサービスタイムギリギリまで遊び、その後夕飯も兼ねて居酒屋で飲むと別のホテルにチェックインする事となった。
それから季節が移り変わり、当方は前期の試験が終わり夏休みに突入していた。
ホテルのベットで騎乗位で果て、また直ぐに腰を振りだすのか思いきや彼女は自身の下腹部を抑え、一言、出来ちゃった、と呟いた。
その言葉に思考が停止した当方に再び、だから赤ちゃんが出来た、と先程より大きな声で告げて来た。
その光景にスピーシーズという映画のラスト付近の描写が脳裏に浮かんできた。映画と違って殺される心配はないが。
彼女曰く血液型を聞いた時から妊娠するつもりだった、との事だった。
そこから月日が巡り、彼女は女児を出産した。
そして二人の関係は6,7年の間途絶える事無く続き、その間にさらに男児、女児の二人の子を授かった。
そしてなんともう一児を授かったタイミングで旦那の転勤に伴いこの関係に終止符が打たれた。
最後の子が無事に生まれたのか、男児なのか女児なのか連絡が途切れたため分からずじまいである。
以上が中出し孕ませ好きになったはじめの一歩目の経験になります。
駄文にお付き合い頂きありがとうございました。
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