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投稿No.8953
投稿者 ヒロミ (48歳 女)
掲載日 2025年7月17日
「投稿No.8848 大学生の時のこと 続き」の続きです。

叔父との淫らな関係を続けたくて実家には戻らず、大学卒業と同時に都内の企業に就職して叔父との同居生活を続けました。
よくあれだけ叔父とのセックスに明け暮れながら留年することなく卒業できたと我ながら感心しました。
それくらいセックス三昧の大学生活でした。

就職を境に私たちのセックスに変化が出ました。
避妊に気をつけるようになり、危険日は挿入時からコンドーム、生理の前後2日は中出し、それ以外の日は外だしか私の口の中で叔父の射精を受けるようになりました。
生理中はもちろん中出しです。
中出しができる時のセックスは特別です。
お互いにいつもより興奮して大胆になり、翌日が休日の時はそれこそ朝まで何度も中出しのセックスを楽しみました。
安全日が土日の場合は、家の中で全裸又は下半身だけ裸で過ごしていました。
今思えばセックス中毒ですね。

その後、叔父は海外の大学へ留学しましたが、留学先で末期のガンとわかり、呆気なく亡くなってしまいました。
叔父が日本を離れる前の数日は、惜しむようにセックスに没頭し危険日に関係なく叔父の精液を私の中で何度も受けました。

叔父の死から半年経った頃、私は高校時代に付き合っていた元彼と付き合うようになり結婚して男の子を出産しましたが、彼の不倫が原因ですぐに離婚しました。
離婚とともに実家の近くに戻り就職しました。
就職先で私より15歳年上の男性と親しくなり、すぐに肉体関係になりました。
叔父に似た感じの男性でセックスも上手で、その男性とのセックスにのめり込んでいきました。
彼は避妊に気をつけていましたが、私から「安全日だから」と中出しを求めていました。
彼には妻子がいたこともあり、私たちの関係は社内ですぐに広まってしまい、結局二人で退社しました。
彼は離婚した後、田舎暮らしに憧れて人里離れた小さな村に移住して、趣味の山のガイドをしたり小さなカフェを開いたりしていました。
彼の田舎の家をたびたび訪ねては一緒に山に登ったり、カフェの手伝いをしながら、誰にも邪魔されない彼とのセックスを楽しんでいました。

その後、私は実家からほど近い企業に就職し社長秘書室に配属されました。
入社して間もなく社長の大阪出張に同行しました。
出張先で社長から夜の秘書になるよう口説かれました。
もちろん相応の手当も提示されましたが条件がありました。避妊をしないことでした。
シングルマザーで子育てをしている私にとって断れない話でした。

社長と関係を持つようになって驚いたのは、社長が私の体に夢中になってしまったことでした。
あとで分かったのですが、社長室の女性秘書は全員が社長の夜の秘書でした。
ただ、社長が私の体に夢中になってしまい、出張に私を同行させることが多かったことが先輩秘書の恨みを買うこととなり、入社して2年くらい経った頃、誰かが社長の奥様に密告し、私は奥様から解雇されてしまいました。
社長秘書をしている間も、休みの日には田舎暮らしをしている彼を訪ねて、彼の仕事を手伝いながら大人のセックスに酔いしれていました。
もうその頃は彼も避妊することはなく当たり前のように中出しでした。

社長秘書を解雇された後、その社長の口利きで県内の別の企業に就職しました。
社長は私の体が忘れられないと言い、私とのセックスのために奥様に内緒で密会ができるマンションを購入してしまい、今はそこで避妊をしない社長のセックスに応じています。
また、昨年秋には、友人の紹介で某有名企業の同い年のエリート社員の男性と知り合い、お付き合いを始めました。
その彼とは真剣にお付き合いをしていますが、田舎暮らしの彼と、前の勤務先の社長ともお付き合いは続けています。
それぞれの男性に嘘をつきながら、清楚な女性を演じ続けています。

20代前半の数年間、叔父と異常なくらいのセックス三昧の生活を続けたことで、セックスに対する何かが狂ってしまったのかもしれません。

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投稿No.8848
投稿者 ヒロミ (47歳 女)
掲載日 2025年1月29日
投稿No.8824に掲載された「大学生の時のこと」の続きです。

大学3年の時に叔父の子供を妊娠して中絶した後、叔父なりに責任を感じたのか、叔父からこの家を出て一人暮らしをしてはどうかと提案され、それまではほぼ毎日セックスをしていたのに叔父が私の体を求めてこなくなりました。
叔父とはいっても父の一番下の弟さんでしたので私と13歳しか年が離れていませんでした。
日常生活の中で叔父とセックスすることが当たり前になっていた私にとって、突然その当たり前がなくなってしまいました。
自分で自分を慰めるしかありませんでしたが叔父との濃密なセックスを思い出して切なくて仕方ありませんでした。

叔父に抱かれたい衝動に駆られ、叔父が私の体を求めてこなくなって1週間が経った頃、とうとう私から叔父にセックスを求めてしまいました。
セックスの快楽を求め合う相手とはいえ、日常生活の中で叔父とのセックスに強く依存している自分に気付きました。
また、大学1年生の時に叔父とセックスを始めた頃、叔父とのディープキスには抵抗がありましたが、回数を重ねるうちセックスの最中にエクスタシーが強くなってくると私から叔父に舌を絡ませるキスを求めながら腰をいやらしく動かしてもっと強いエクスシーを求めるようになり、いきそうになると快楽が深まる中で叔父とのディープキスで興奮が一層高まっていきました。
叔父とセックスを再開するようになってから、当然妊娠には気をつけるようになりましたが、それでも避妊にコンドームを使うことはなく、いつも生でしたし危険日とその前後は外出しで安全日は以前と同様中出しでした。
2年半も生でしかも中で出されるセックスを繰り返してきたので、お互いがいく時に舌を激しく絡ませながら叔父の精液を私の中で受ける中出し独特の快楽に理性が負けていました。妊娠して当然の性生活でした。
中絶という行為にショックはありましたが、中出しのセックスでしか得られない快楽に溺れていました。

セックスを再開してから私たちはより快楽を求めるようになりました。
電動アンマやおちんちんの形をした電動バイブを使うようになったり、恥ずかしいですがアナルセックスもするようになりました。
時にはSM用のロウソクで熱く溶けたロウを乳首やクリトリスの周辺、お尻に垂らしたりして過激なセックスの快楽を求めていました。
そうした行為の後のセックスのときは危険日とわかっていても、叔父がいきそうになると「妊娠しても構わない」とさえ思ってしまい、私の両足を叔父の腰に強く絡めて「中でお願い」と叔父の耳元に囁き、私の奥深くで叔父の精液を受けられるよう腰を動かしたりしていました。
お互い妊娠の不安はありましたが、快楽の欲求に理性が吹き飛んでいました。

春から秋にかけては、家にいる時、私は叔父が買ってきたタオル地のワンピースを着ていました。もちろんその下は裸です。
家の中ではいつでもどこでもセックスができるようにその格好でした。
キッチンで食事の支度をしているときや食後の後片付けをしているときなどに叔父が後ろからきて裾をたくし上げていきなり挿入してくることもよくありました。
叔父は、私がキッチンで食事の支度をしている時などの後ろ姿に色気を感じて私の体を求めたくなってしまうと言っていました。
こういう体位のとき外だしは難しいので安全日は中出しですが、危険日は繋がったままベッドかソファへ行って外だししてもらっていました。

叔父との性生活を続けたかったので、実家のある関東某県の実家には戻らず都内の企業に就職しました。

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カテゴリー:近親相姦
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投稿No.8824
投稿者 ヒロミ (47歳 女)
掲載日 2024年12月31日
これは私が大学生だった時のことです。
実家は小さな酒屋を営んでいましたが、弟と妹がいたので家計を助けるため父の弟である叔父の家に下宿して都内の大学に通っていました。
叔父は離婚歴のあるバツイチで一軒家に住んでいました。
叔父は都内の大学で教員をしていました。

大学1年のゴールデンウィークのことです。
飲み会で酔って帰りシャワーを浴びた後、タオルを巻いたままベッドで寝てしまったようで、気がついたら叔父が裸の私の上にいて私の体を求めていました。
かなり酔っていたのでただ呆然としていてよくは覚えていませんが抵抗はしました。
私は高校2年の時から付き合っていた彼とセックスをしたのでセックスの快楽は知っていたせいか次第に気持ち良くなり半ば合意みたいな感じで応じてしまいました。
その時は朝まで何度も叔父に抱かれました。
叔父という安心感があったので家の中ではノーブラでTシャツだったり、洗濯かごに下着を入れたままだったりしたのが叔父の行動を狂わせたのかもしれません。

その後は半ば無理やりでしたがほぼ毎日の様に叔父との関係が続き、実の叔父に抱かれているということに罪悪感というか不道徳感がありましたが、回数を重ねる度にそれも薄れていき、やがて叔父とのセックスにのめり込んでいきました。
オナニーより気持ちよかったですし、今思えば叔父はセックスが上手だったので、叔父にセックスの良さを教え込まれて快楽に溺れていったのも事実です。
夏休みに入ると1日中セックスに明け暮れて部屋の中でお互い裸で過ごす事も多々ありました。
そんな自分に恍惚としたものを覚えはじめてすらいたのも事実です。

初めて叔父に犯された時は避妊などできなかったので当然中に出されました。
その後はコンドームで避妊していたのですが段々とルーズになっていき、半年も経たない頃には完全に生でする様になっていました。
叔父は生の方が気持ち良いからと言って使いたがりませんでした。
それでも一応避妊のことは考えて、危険ですが叔父がいくときに外出しというパターンでした。
私は不安を覚えつつもそれを受け入れていました。
ただ、叔父は色々な対位を試したり、叔父が射精するまでに私は何度もいかされるといった具合で付き合っていた彼とは全く異なる大人の濃厚なセックスに私の方が溺れていました。
いつの間にか私から叔父にセックスを求めるようにもなりました。

体位によっては間に合わない時もあって失敗して中出しされたことが何回かありましたがその都度不安な思いをしましたが妊娠には至りませんでした。
でもそんな事が何回か続く内に中出しされる回数は次第に増えていきました。
失敗とかではなくて叔父の確信的な中出しでした。
私もその事に薄々気づいていましたが中出しされる時の気持ち良さにかまけて許していましたし、そんな危険で不道徳な行為に私自身も興奮していたことも否めません。

さすがに叔父も最初の頃は危険日は避けていました。
でも1年経った頃には慣れというか私も叔父も妊娠への不安が徐々に薄らいでいくというか麻痺していった感じでした。
いつの間にか避妊には無頓着になり毎回中出しされるのが当たり前になっていました。

叔父との関係は近親相姦なのだとわかってはいたものの体が叔父を欲してしまい、ほぼ毎日抱かれました。
恥ずかしい話ですが生理の時もほぼ毎日抱かれました。
叔父とは家の中だけの秘密の関係ではなく一緒に旅行をしたりもしました。
旅行先では、いつもと違うホテルや旅館という環境の中で大胆で濃密なセックスを楽しみました。

結局3年生の秋に妊娠して中絶しました。
今考えると妊娠して当然の性行為だったのですが、あんな性生活を繰り返しながらも、その間によく妊娠しなかったものだと思います。

中絶後、叔父から、アパート代は少し補助するからこの家を出て一人で暮らしたらどうかと提案されました。
叔父が私の体を求めてくることもなくなりました。
叔父の言う通り、この近親相姦の関係を終わらせる時かもしれないと考えました。
ただ、夜、私の部屋で一人でベッドに入って寝ようとしても、叔父との濃厚なセックスを思い出してしまい、体がいうことをききません。
私の唇が、乳首が、アソコが、全身が叔父を求めてしまうのです。
寝られない夜が何日も続き、自分で慰めるしかありませんでした。

叔父とのセックスをやめて1週間ほど経った日の夜、下着姿で叔父の寝室(以前は二人の寝室でした)に行き、叔父のベッドに潜り込み、叔父に濃厚なキスをしました。
そして叔父の手を私のアソコに導き、叔父に対して初めて「愛してる。思いきり抱いて。思いきり中に出して」「叔父さんから離れなれないの。叔父さんとのセックスがないともう生きていけないの」と打ち明けました。
叔父は優しく激しく私を抱いてくれました。
叔父は私が危険日だと承知をしていましたが、朝まで何度も私の中でいきました。
私のアソコから叔父の精液が流れ出ることがこんなに愛おしく感じることはありませんでした。

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カテゴリー:近親相姦
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